七倉 双面
(しちくら そうめん)
平安時代も中期になった頃
七倉山の麓に突然現れた思想家。
思想家は心に柔らかさを求めた。
そしてとどまることなき
水のような流れを求めた。
心はやがて流れとなり心流が生まれた。
流るる大河のごとく穏やかな心。
その思想家の心の一の眼は
まごうことなき真実の表裏
(しんじつのひょうり)をとらえた
その時、心は真実と一体化したのである。
名を一眼双心流(いちげんそうしんりゅう)
という。
物事を常に表裏の双面から見つめ受けとめる流派
一眼双心流は今日まで歴史の裏側で静かに
しかし力強く継承されていたのであった。
現代における七倉双面は33代目を数える。
流派に代々伝わる考察方法こと
一眼双心流考察法
(いちげんそうしんりゅうこうさっぽう)
を静の心流として受け継いでいる。
一方では、動の双心術をも極めている。
33代目は浅井U太郎の師匠にして、
普田凡八の恩人でもある。
時代が変わっても
変わらないものがあります。
それは変わらないことが
自然だから変わらないのです。
それとは反対に時代が変われば
変わっていくものがあります。
それは変わってゆくことが
自然だから変わっていくのです。
変わることに「優」なく
変わらぬことに「劣」なし。
それらの逆にも同じことが言えます。
人もまた心もまた
変わり、変わらないという
その双方の面を持つことは
いつの世も変わることがないものです。
どんな人もありのままの
自分でいたいと思う反面、
生きていくためには必要に応じた
変化をせざるをえません。
それもまた人にとって
あるべき自然な形だからです。
ありのままいたいと思う
その気持ちと、
変わりゆくことを
受けとめる勇気の間に
自らの本当の姿を描くなら
きっとそれこそが
人として最も自然であり
また、とても「常識的」
な生き方だと感じることが
できるのではないでしょうか。